アーティストにとって、作品を生み出す行為は日常だろうか。画家なら日々の デッサン、写真家なら路上の彷徨、ミュージシャンなら楽器の練習、そういった努力の延長線上にある、とひとまずは言えるかもしれない。そこに様々な欲求や アイデアや無意識の作用、ときに外部からの制約といった要素が重なり合って作品が形作られる。しかし、ある時、そのタイミングでしか生まれない絶対的な作品というものが世の中にはある。今回紹介するさくまひできの「隣の芝生は青く見えなかった」は、そのような希有な作品だ。
この一見奇妙に思えるタイトルを持つ曲は、さくまの活動をずっと応援し続けながら、1年半程前に他界した自身の父親に捧げるレクイエムだ。歌詞は幼少の頃の思い出から始まり、高校を辞めてプロの道を選んだ時の会話、病床で発した最期の励ましの言葉まで、実際のエピソードを重ねてリアルな父親像を浮かび上がらせていく。「普段はサビがどこでAメロがどうでとか考えながら書いたりもするんですけど、それも一切無視して、とにかく書きたいことを書こうと思って ノート数ページにわたって詞を書きました。それからそこにメロディーを乗せながら曲をつくって、一番必要な部分だけを残していって完成していきました」と さくまは言う。
さくまは物心ついた時から歌によって父と結びついていた。「父親も歌が好きで、歌手になりたかったのか歌のレッスンに行くんですが、幼稚園の頃に付いていったり、家でもカラオケのレコードで一緒に歌っていました。家は焼そば屋をやっていたのですが、1階の店のステレオから流れるラジオの音が聞きたくて、 学校から帰るとスピーカーの真上にあたる2階の押し入れに寝そべって天井から漏れてくる音を聴いてました。それを見かねてラジカセを買ってくれたのも父で した」。小学校6年で父が持っていたフォークギターを弾きはじめ、中学に入っ て作詞作曲を始めバンドを組む。「そこからはもうその延長線上ですね」。
以来、プロになると決めてからもがき苦しんだ時期からメジャーデビューを果たして活動を拡げていくまで、すべてをを温かく見守ってきた父。その想いを改めて歌にすることは必然だったが、その死はあまりに大きな出来事で、当初ただ月日は流れていった。そうして半年ほど経ったある日、生前から父とも親しかった音楽評論家の富澤一誠氏から電話をもらう。「歌をつくる人間として、一生に一度しかない経験を残しておく、それがお父さんのためでもあるんじゃないか な?」 そのアドバイスが合図であったかのように、さくまは一気に書き上げた。
その時、「何も考えずに最初に出てきた言葉が、“隣の芝生は青く見えなかった”という言葉」だったという。歌詞の中には、友だちがみんなで自慢し合うラジコンカーを持っていなくて馬鹿にされて泣いて帰るというエピソードがある。 しかし、さくま少年は、「汗にまみれて働く父の姿を見て/もくもくと働く姿見 て泣きやんだ」。どんな物よりも輝いている一番の家族が、一番の父がいたから、「隣の芝生は青く見えなかった」のだ。「無口で頑固で」、「子供に夢をす べて託し」、「不器用だけど立派な昭和の男」__そんな父親を見て育まれ、受け継がれたさくまひできの心根こそ最高の宝物だということに、聴く者は気づかされ、その愛の深さに激しく打たれる。発表することを考えずに作ったこの歌 は、富澤氏のラジオ番組で一度だけ披露されるや大きな反響を呼び(それはちょ うど父の死から1年後のことだった)、今年1月のmorphのライブでも感涙にむせぶ者が続出。4月3日(金)に自らのレーベルからリリースされることになった。
さくまが歌をつくる上で信条としていることに「人の優しさ」がある。ありきたりの言葉にも思えるが、次のさくまの言葉に耳を傾けて欲しい。「一番大事なのって、聴いてもらった時に、言葉にならないものを感じてもらうことだと思うんです。僕は優しい歌を発してるつもりはなくて、自分の中で作った純粋な気持ちを歌にしてるだけです。でもそれが伝わった時に、何かを感じた人が、なんで 私はこの歌で涙が流れるんだろう、なんで私こんな優しい気持ちがあるんだろうって、自分の中にある優しさに気づいて欲しいってことなんです」
泣かせるためにつくられたのではない本当の歌にあなたの心が共鳴できるのか、ぜひ噛みしめて聴いて欲しい。
http://www.sakumahideki.net
さくまひでき New Single Release 記念ライブ
〜『隣の芝生は青く見えなかった』
4月27日(月)@morph-tokyo
前売り/¥3000 当日/¥3500 (D別)
OPEN/18:00 START/18:30
Vo&AG:さくまひでき、Bass:小野滋久、Piano:小島智宏