毎月このマンスリーの表紙を飾ってくれているリリー画伯が、初の長編小説を出したという。その名も『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』。早速、仕事帰りに買って、あの映画にもなった江國香織のベストセラー小説のパロディなのかと思い読みはじめたら、と、と、と、とんでもございません! 冒頭の2ページだけで、あれ、これなんかマジだぞ?! そして気がついたら残り445ページを朝まで一気に読んでしまったのであった。そして胸に去来する様々な思い、こみ上げる涙。。。“リリー・フランキー”がもつ自分の中でのイメージは確実に上書き修正された。この本を既に読んだあなた、そしてこれから手にする君たちも、きっと同じ思いを抱くに違いない。コラムニスト、イラストレーター、フォトグラファー、小説家、ジャンルを超えた表現者、いやそういうことを言いたいんじゃないんだ。
ここに綴られた話は、リリー・フランキー本人の「記憶に基づいた実話」と言っていい。語り手であるボクは初めにこう宣言する――「この話は、かつて、それを目指すために上京し、弾き飛ばされ故郷に戻っていったボクの父親と、同じようにやって来て、帰る場所を失してしまったボクと、そして、一度もそんな幻想を抱いたこともなかったのに東京に連れて来られて、戻ることも、帰ることもできず、東京タワーの麓で眠りについた、ボクの母親のちいさな話です」。誰もがもつ両親と家族、そして死に向きあった体験を、これほど真正面から描ききった小説はめったにない。いや、これを“小説”と呼んでいいのか僕はわからない。ここには余計な演出や感情が極力抑えられ、ただ事実のみが淡々と綴られているようにみえるからだ。それは著者が自らに課したことでもあったという。「写生文に徹するってことがこれを最後まで書く唯一の術かなって、それは徹底して意識してましたね。一切けれん味もなくして、何のひねりもなく、一行一行を刻印していくように原稿用紙を埋めていった。今までは1あることをどれだけ10面白がれる原稿を書くかってことに徹していたけど、今回はその逆のやり方だと思う」。結果、この物語を書き進めることが、亡くなった母親への法要になった。
物語は子どもの時の記憶から始まる。福岡の小倉で生まれ、筑豊の小さな炭鉱町で育ち、初めての一人暮し、東京への憧れ、何か得体の知れないものへの恐怖感。それらの日々を語るのに通底しているのは、そこはかとない“物悲しさ”だ。その寂しさは、リリー・フランキーの原風景のように思える。
「偶然、僕が生まれた街が鉄工所の炉が閉まるようなときの生まれで、移り住んだところが今度はまた炭坑が閉山になるっていう街で、そのあとは寂れた温泉場だったり。栄枯盛衰の枯れてるところだけを転々といくっていうか。だから煙突の後ろに月があるとか、鉄塔の上に月があるっていうのが、子どもの時に思い描く何かの恐怖感と結びついていた。僕にとって、いわゆる物悲しいっていうか人を寂しい風景にさせるっていうのは、細長い建物と月の関係なんですね」。ということはつまり、上京してからのリリーにとって象徴的なその風景こそが、「東京タワー」だったのだ。そして運命の巡りあわせか、母親の最期を付添っている病室からその東京タワーが見えていた。
「だからこのタイトルは4年前から決めていて、何がなんでも変えたくなかった。田舎では煙突が倒されて、炉が閉められて、竪坑が取り壊されて、自分が怖かった長い建物がどんどん無くなっていく中で、でもその中ですごく憧れた東京タワーさえも、今や無用の長物で取り壊そうという話が出ている。このタイトルじゃなかったら、これを書き進んでいってるときのモチーフが出てこなかった」
ボクが語るのは、あるひとつの普遍的な「家族」の物語である。リリー・フランキーがこんなにもベタなテーマをとりあげたことを訝る人もいるかもしれない。どういう心境の変化があったのだろう。「今までは際立ったものとか一般的でないモチーフをとりあげて何かやってたと思うんですけど、いわゆる平凡であることがテーマとか、そういうありきたりなことっていうのは、すごくその側面に非凡なことが隠れてるっていうか、そういう今までと逆のことに興味が出たっていうのがものすごくありますね」。変化球もなしに真正面から書かれて、オブラートにも包まれず差し出されて、僕らはなぜこうも心揺すぶられるのか。「読んでる人が何か期するところがあったとしても、それは結局、この話を読みながらたぶん自分の子ども時代から親との関係にフィードバックしてるからだと思う。ここにある話に涙してるんじゃなくて、自分のところに移植された物語にね」
そして同時に、これは地方から東京に出てきて生活する若者を巡る物語でもある。「東京にいるとなんかその辺で湧いて生まれたような顔してみんな生きてるし、そうやって生きてないとやりずらいってところもあるけど、結局、みんなが誰かから生まれて家庭があってという、そのことだけがみんなに平等に、平均的にある。でもそれはナイことになっていくのが東京の生き方」。気がついたら自分もそうやって「東京」の仮面を被って暮らしていないだろうか。そのマスクの下は、もうしかしてもう崩壊寸前にボロボロなのに……。そんな身振りの無意味さを、この本は気づかせてくれる。
一方で、少年時代のエピソードを読みながら、ある種のノスタルジーを感じるのも事実だ。これは作者が過去をノスタルジックに回想しているからでは決してない。確かなディテールによって浮かび上がる時代の空気、匂い、情景、人間関係。うん、わかるわかる、でもそれは強く“昭和”のイメージを思い起こさせる。割れたガラス戸、母の手料理、たくさんのおかず、ぬか床、テレビ、長嶋、ビートルズ……。しかしそれらが喚起するリアリティーはやはり圧倒的だ。これも本人のリアルな記憶から紡ぎだしているからに他ならない。
「例えば、昭和何年にオカンがこうなってということが、時系列でものを書いていても時間がどれだけ進んだのかわからない。だからなるべく時代のディテールっていうか、その時に話したことを思いだして、そういうものは入れていきたいなって思ったんですよ。やっぱり話の中でも何かが生まれて何かが終わりに近づいてくように、文章の中でも時間が経ってることを、ページ数じゃなくて時代のディテールで、漠然とでいいから感じてって欲しい。だから記憶だけを頼りに、その中でほんとに自分が子どもの時に思ったことだけ書いた。年表を見たりしてあの時こんなことがあったっていうふうにして書き足すっていうことは一切やめた」
時系列でストーリーに引きつけられて物語が進んでいく中で、「今」の時点を思いださせるようにアクセントになっているのが各章の頭に置かれたコラム仕立ての文章だ。東京タワー、東京という磁場について、親子と家族の関係について、人間の能力と可能性について、自由の落し穴について、孤独についてetc。そこにはリリー・フランキーが週刊誌のコラムでみせるねじれた笑いの要素はなく、批評的な醒めた視点で、人間と社会にまつわる根源的なポイントがズバリと言い当てられている。例えばこんなセリフ――「感情の受け皿にはもう可能性はない」「漠然とした自由ほど不自由なものはない。それに気づいたのは、様々な自由に縛られて身動きがとれなくなった後だ」。それはまるで自分のことを指摘されたみたいで身につまされる思いがするのは僕だけではないはずだ。ここでも自分と向き合わざるを得ない。
「そのいわゆるコラムの部分っていうのが、一番私的な話じゃないっていうか、世俗の話をしていて、それの中で物語と読者が接してるというか」。読者は自分の居場所を確認すめると同時に、これらのセリフが実は、語られているこの物語を最後まで経験したあとの時点の「ボク」から照射された眼差しなのだと気づくのだ。
この物語が通常の小説と比べて特異なもとになっているひとつの要因に、登場人物である「オカンとボクと、時々、オトン」のなかで、ボク以外の感情を明確に描写した箇所がないところだ。通常フィクションならば、それはあり得えない。しかし複数の視点を導入したほうが効果的と思えるところも、あえてそうしていないようだ。
「結局オヤジが何を思ってたのかとか、お袋が何を思ってたのかっていうこともほとんど書いてないと思うんです。想像はするけれども、そのことをオレが断定的に、仮説を立ててっていうこともしてないと思うし。だからなるべく一行一行の密度を上げながら行間を拡げていくようなっ書き方っていうか、無駄を書かないっていう。“ともすれば〜”、みたいなことを書きだしたらなんか違うっていうか、自分が書きたいようなカタチにならない。だから自分でもアホみたいな文章だなって思うところもいっぱいあるんだけど、それはそれでいいって」。だからこそ逆に、最後に残された手紙が、オカンとオトンの本心を語っていて胸に迫ってくる。
と、ここまで書いてきたけれど、この本の素晴らしさを充分に伝えられたかどうかちょっと自信がない。実はインタビューの時も、はっきり言ってうまく話が聞けたわけではないと思う。質問というより、自分の感想を述べていただけのような気がする。なぜなら、こんなにまっすぐな言葉で、素直にさらけだして、母親への思いが、感謝が、愛が語られている文章にめったに出会うことはないから(そこに泣かせてやろうなどいう計算は全くない)。それ以上聞くのはむしろ失礼な気がしていた。だからここでも、ありきたりな絶賛の言葉を書き連ねて陳腐に聞こえてしまうのを恐れる。でも、読めば必ずどこか自分とオーバーラップする部分があるはずだし、もっと親孝行しなきゃ!と思うに違いない。そしてこの思いをすべての人と共有したくなる。紹介者としてはこれこそ禁句かもしれないけど、「読めばわかる!」とだけ、マジで言いたい。実際、僕は読んですぐ思い浮んだ友人たちに携帯でメールを送りつけた。本屋で手にとってレジへいこうか迷っている人を見かけたら、「大丈夫。買って、読んで!」と心の中で叫んでいる。
インタビューの終了間際に、ようやく“聞けた”と思う言葉がある。彼はこう言った。「上京してきた時にパンクとかアナーキーなことにすごく傾倒して、若い時に初期衝動でいろんなことやったけど、結局ああいう音楽って、自分の恥ずかしいところとか、みっともないところ、カッコ悪いところをどれだけ大きな声で叫べるかってこと。そこがすごくパンクロックの甘酸っぱいところでもあり、そういう意味で今回初めてちゃんとパンクなものが書けたなっていう気がする」。リリー・フランキー、42歳。職業不定。生き方、パンク。彼を信じていい。
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リリー・フランキー
1963年、福岡県生まれ。武蔵野美術大学卒業。
現在、自作の絵本をアニメ化した「おでんくん」が放送中。(NHK教育テレビにて毎週金曜日)
初めての長篇「東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜」6月29日発売。
J-WAVE「TR2」WEDNESDAYナビゲーター(毎週水曜日26:00〜28:00)
ホームページ
http://www.lilyfranky.com