彼らにインタビューするのは1年ちょっとぶりだった。2ndミニアルバム『やぶ医者とわたし』発売に合わせた2度目の“ほぼ”全国ツアー後半戦の合間、六本木に現れた3人は、前回地元埼玉で会った時より、ひと回り大きくなって見えた。「えっ、自信ですか? いや、基本的に、ないですから(笑)」。全曲の作詞作曲をてがける山岸(vo.g)はそう謙遜するものの、この新作を聴いた者は誰もが、すでに“ウラニーノ調”とでも呼ぶべき独特の世界観が確立されていることに気づくだろう。北関東の“ヘボロック”と侮るなかれ、そこから鮮やかに浮かび上がる「ぼく」の風景には、“カッコワルイ”ものとして世間からは葬り去られた「青春」の記憶が真直ぐに提示されていて、地平線の向こうへ沈む夕焼けとともに眩しくきらめいて見える。
たとえばこんな。「夕焼け/ぼくらを焼き尽くしてしまえ/彼女の涙がこぼれ落ちる前に」〈夕焼け、ぼくらを焼き尽くせ〉。「ドアを開けた君の驚いた顔を見て/ぼくは何も言えなくなってしまって/とっさにわけのわからないこと言ってしまった/朝を届けにきたよ」〈朝を届けに〉、「清く
正しく 君のこと愛せるかな/ささやかに でも確かに 君はぼくを愛してくれるかな」〈てつがく〉。思うように気持ちを伝えられず、涙の意味も問いだせず、あと一歩が踏みだせない半人前の「ぼく」。「あとで気づいたんですけど、今回アルバムでき上がってみたら、“涙の理由がわからない”っていう曲がいっぱいあって(笑)。でも、それが2ndのひとつの色になってますね」(山岸)。他人には何でもない些細なことだけど、「ぼく」にとっては決定的に心に刻まれたあの時、あの顔。そういえばオレにも……。知らない間にもうウラニーノの歌がキュンと胸に響いている。中でも〈夕焼け、ぼくらを焼き尽くせ〉は、ライブ会場男子全員熱唱間違いなし!の代表作になりそうな予感だ。
一篇の短編小説のようとも評されるこのウラニーノの曲世界。ツアー先の地方で出演したラジオ番組でも歌詞については必ず訊かれたというが、改めて曲づくりの秘密を聞いてみた。
「まずこんな主人公がいて、こういうシチュエーションでって、短いストーリーを考えてから詞に落とします。もしかしたらその主人公=僕と思って聴いている人もいるかもしれないんですけど、基本的には客観的に物語をつくってるんです」(山岸)。おそらく小説家のそれのように、キャラクターと状況設定がきっちりつくれたら、あとは登場人物が勝手に話を進めていく感じなのだろう。では他のメンバーはどう思っているのか。
「僕らは何も知らないで、完成したものをポンと出される。でちょっと聴いてって、ヤマギ(山岸)が弾き語りで歌い出すんです」(小倉/dr)。「僕はメンバーとしてというのもあるんですけど、最初のファンのひとりとして聴いてしまって、すごいハマった時なんか泣いちゃったりもする時がある(笑)」(ピストン/ba)。でき上がった曲から独自の解釈で小倉はマンガを描く。ウラニーノ・ファンにはおなじみのライブ会場で配られるアレだ。曲を聴きながら、マンガを見ながら、オーディエンスそれぞれが自分の中にいる「ぼく」を見つけ出し、そこからまた自分なりのストーリーが紡がれてゆく。
もう一つ、作品の中で重要と思われるモチーフが、「メカ/機械」だ。1stアルバムに収録された初期の傑作〈ぼくのロケット〉もそうだったし、今回もマスターピースのひとつになりそうな〈ココロメカ・メカココロ〉という曲がある。「この曲は歌詞だけじゃなくて、メカと人間の部分が入り乱れる感じを出したくて、小倉君の生のドラムと打ち込みのドラムを一緒に鳴らしています」(山岸)。「ヒトノココロヲモッタキカイ」――そこには、「鉄腕アトム」から「ドラえもん」「AIBO」にいたるまで連綿と受け継がれる、日本人特有の“メカ観”がある。大げさではなく、僕はこれを個人的に愛知万博のテーマソングにしたいくらいだ。
今後のウラニーノにとってもターニングポイント的作品となりそうな『やぶ医者とわたし』。すでにショップの現場では好評をもって迎えられている。おそらくこのアルバムで初めて彼らの音楽を耳にする人もいるだろう。そしたら是非ともライブに足を運んでほしい。いろいろな意味でCDから想像する以上のパフォーマンスが見られるはずだ。そしてまだ心の奥にくすぶっている青春があるなら、彼らと一緒に燃やし尽くしてほしい。
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